学生通信

2019/12/25

 不定期連載ですが、文学部の「今」を学生自身の言葉で発信します。受験生、在学生、保護者の方々。広く立正大学文学部を知っていただけたら幸いです。もし、自分も書いてみたいという学生がいれば学部事務室まで気軽にお声がけください。

vol.1
「古今をつなぐ音声ー人々の思いー」
(史3年 横浜清風高等学校卒)

四季が流れ、澄んだ空が高く感じられるようになり、すっかり一年が過ぎようとしています。皆様はどうお過ごしでしょうか。私は大学三年生となり、様々な体験と新しい出会いを重ねる充実した日々を過ごしています。
さて、今回は十月の一ヶ月間、全五回にわたって本学で開催されました文学部公開講座での体験を紹介します。

本年度の公開講座は『心に語りかけるもの—ことばと旋律、そして音声—』というテーマをもとに開かれました。文学や音楽は、古今の東西を問わず、はるか昔より人々の心に寄り添ってきました。喜び、悲しみ、怒り、こうした多彩な感情をのせた文学や音楽、そして信仰を表す音声を届ける場となりました。各分野でご活躍されているプロフェッショナルな方々が集う贅沢な会となり、貴重な経験をさせて頂きました。

その中でも第二回「『源氏物語』と音曲—悲劇をいろどる雅楽の調べ—」で舞台のバックヤードを担当させて頂きました。舞台袖で見つめる様々な楽器と衣服は非日常的で、講座が始まる前からどこか時代を遡ったような感覚すら抱きました。
お恥ずかしいことながら、実は『源氏物語』は一通りは読みましたが、詳細は知らず、光源氏の恋物語という端的な認識だったのです。そのため、今回のタイトルの「悲劇」とは一体何を指しているのか不明なまま舞台袖に立っていました。ですが確かに「悲劇」は存在していました。
講座で扱った内容を一つ取り上げます。紅葉賀巻、「青海波」の一場面です。源氏と継母、藤壺宮との間にできた不義の子、その子を初参納で父、桐壺帝は源氏に「お前に似て、可愛らしい子だ」と言います。源氏は「恐ろしうも、かたじけなくも、うれしくも、あはれにも…」と感情の起伏を表しました。密通していた二人は動揺したでしょう。父は、本当は実の子ではないと気づいていたかもしれませんが、生まれた子を愛しんでいます。「悲劇」とは残酷非道な結果だけに使われるのではないのです。

『源氏物語』はあくまでも「物語」です。それは私の中で平面的な印象でした。しかし今回の舞台で文学だった『源氏物語』は美しい雅楽とともに奏でられ、狩衣を纏う奏者によって立体的な奥行きのある場面と変化しました。そこには平安時代の当時の人々が紡いだ文化が詰められ、今も昔も変わらず人々の心を動かし彩った言葉と和歌がありました。
光源氏は愛を求めていたのでしょうか、それとも自分を認めてもらえる存在を探していたのでしょうか。誰かを想うこと、愛することそれは美しく、満たされるものだと思います。半面、愛するが故に誰かを傷つけ、死を感じさせることもあるのです。『源氏物語』は私が思う以上に人間の深層心理をドラマ化し、描写している作品でした。

そして雅楽ですが、実は私は仏教校で高校生活を過ごして来ました。涅槃会や様々な行事の際に雅楽と触れ合う機会が多く、その影響もあり第二回の講座に参加した背景もあります。
講座が始まる前、稲葉先生は「様々な楽器を紹介したい、実際に音色を聞いてほしい。」と述べられていました。私はこの言葉が印象的で、講座が始まり身をもってその意味を体感しました。稲葉先生をはじめとする先生方が大切にしている楽器を理解することで、聞こえてくる音色の多重性や、楽器そのものへの関心がまるで違うのです。音声によって、会場が荘厳な空気に包まれていました。人々から愛され、必要とされてきた雅楽の音色が確かに存在していました。

今日まで受け継がれてきた文学・音楽は、私たちに何を伝えようとしているのでしょうか。そんなことをふと考えさせられる出会いが、私の体験です。そして心を動かされたあの一瞬を失わず、糧として吸収し反芻することが学びだと思いました。今回の講座で新しい出会い、もしくは過去に読んだ文学や音楽と再会するきっかけの場を提供することができたと思います。皆様の知識や教養、感情の一部として昇華されたならば幸いです。

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